ペンもちDays

ペンギン好きの野郎が淡々と日常を貼っていきます

「糞ダセー」はどうすれば「超カッケー」だったんだろう?

キンコン西野の「絵本無料公開」の全貌がようやくわかりました。

そして今思うのは、西野さんって人は奇跡的なまでにタイミングと言葉選びをミスったなという印象です。

 

「プペル」という絵本と、その背景にある成り立ちは素晴らしいし、そのためにお金を払ってでも子供に与えたい、あるいは読みたいという気持ちは非常に納得できます。

作品としてのクオリティも非常に高いし、値段設定も2,000円ということを考えれば十分に商品として魅力的です。更にそれを、一部の子供が買えないから「無料公開します」という心意気も素晴らしい。お金がなくて、それでも西野さんの素晴らしい作品を見てみたいという子供たちも嬉しかったのではないでしょうか。

無料化という手法は、マーケティングや売上の話を抜きにしても「良い作品を味わってもらう」という芸術本来の目的を果たしました。そういった意味で、やり方としてはそこまで間違っているとも思えません。

 

ただ、西野さんはその影響力がポジティブな方だけではなく、ネガティブな方にも進むことをもっと考えるべきだったんじゃないかなぁ。

というのも、得をする人がいる裏側で損をする人もいるわけで、その人たちのことを無視したような、あるいは悪者扱いするような発信の仕方をする必要はなかったんじゃないか、と思うわけです。

 

この出来事では

・本を買った人

・本を売る人、作る人

・本が欲しい人

・本を読んでみたい人(欲しいまではいかない)

・本を買える人

・本を買えない人

みたいな色々な人が出てくる。

で、今回の流れでいわゆる「得」をしたのは

・本が欲しい人

・本を読んでみたい人(欲しいまではいかない)

・本を買えない人

であり、残りの人たちは必ずしも「得」をしているとは言えません。

逆に損をしているかもしれない、と言えます。

西野さんのブログでは

 

『えんとつ町のプペル』は2000円です。

色を綺麗に出す為に特殊なインクを使っていて、使用するインクの数も一般的な作品より多く、そしてページ数も多いので、2000円という値段設定はギリギリまで頑張ったのですが、それでも2000円。

たしかに、小学生からしてみると大金で、自分の意思で買うことは難しいです。

実は、ここ数日、このことがずっと気にかかっていました。

《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》

双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。

お金を持っている人は見ることができて、

お金を持っていない人は見ることができない。

 

と、「読みたいけど買えない」という小学生を不憫に綴っています。

確かに、2,000円の絵本を買うことができない小学生は、絵本の良さを享受できないのでかわいそうかもしれません。

でも、中には他に欲しいものを我慢して、一か月のお小遣いを全て絵本のために使った子供もいるかもしれない。あるいは、自分の趣味に使うお小遣いを我慢したお父さん、お母さんなどが、2,000円分子供のために使ったかもしれません。

「お金」にちょっと待ったをかけられているのは、何も子供だけではありません。全国のお父さんお母さん、あるいは兄弟姉妹、それぞれ家庭の事情があります。その中でやりくりをして、何とか頑張って2,000円の絵本を手に入れた子供もいるはずです。極端な想像ですけどね。

それを、西野さんはこんな言葉で間接的に乏しめてしまうわけです。

 

そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。

 

「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ?

糞ダセー。

 

……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)

 

作家の、つまり発信側のスタンスとしてはそうかもしれません。

最大多数の最大幸福ってやつでしょう。良いものを受け取れる人が、お金を障害に受け取れないってことなら、そんなもの取っ払ってしまおう!という心意気。

それ自体はすごく良いんですよ、だって得する人がたくさんいるんだもの。

でも、受け手側は必ずしもそうでないってことです。既にお金を出した人、我慢の末の取捨選択だった人、いろんな人がいます。彼らは「糞ダセー」という気持ちで片づけられてしまうのでしょうか?

また、発信側にとってもいいことばかりではありません。西野さんはたまたま、そういった声を聴いて、無料公開しても明日食い逸れることはない、とどこかで判断したからこそ、この方法をとったのかもしれません。

 

制作サイドの理由になるのですが、実はこの決断には勇気が要りました。

制作スタッフには最初の段階ですでに給料が支払われていますが、僕や出版社は絵本の売り上げ(印税)で生活しているからです。

「無料にしてしまうと、食いっぱくれてしまうのではないか?」

そんな不安もあります。

 

しかし僕は、『10万部売れるコト』よりも、『1億人が知っているコト』の方が遥かに価値があると考えます。

 

1億人を楽しませることができたら、その瞬間は1円にもならなくても、後から何とでもなると思っていますし、なんとかします。

それに、「西野君、こないだはありがとね」と夜ご飯ぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。

 

だったら、もう『お金』なんて要らないです。

僕とあなたの間から『お金』を取っ払います。

『お金』を払いたい人だけが払えばいいようにします。

 

別に西野さんを攻撃するわけではないんですけど、「夜ご飯ぐらい~」はあなたに限っての話ですよね?と思わざるを得ません。全員が全員、そうではない。

認知の手法について言えば、マーケティング的には間違ってないと思うんですよ。結果的に多くの人が「キングコング西野が絵本を無料で公開した」という事実を元に、興味関心を持って調べるだろうから。あるいは、たまたま目にしただけだったとしても、「無料公開なんていい人だな」という好感度UPにも繋がるかもしれません。

で、潜在的なファンになったり、次なる買い手になるかもしれないというケースはいろんな販促活動の中でも数多くあります。アメリカなんかそういうめちゃめちゃ得意な企業が多いですからね。

例えば、ラリー・ペイジセルゲイ・ブリンが「検索エンジンで金とるの、糞ダセー」と思ってGoogleを無料にしたのかは定かではありません。ただ、彼らだって広告収入で儲けていますし、個人情報やアクセスログなどを手にすることで利益を出しているので、お金とは無縁ではありません。我々は知らぬうちに対価を払っています。(しかも彼らは世界のお金持ちTOP20に入るレベルの利益を得ています)

もっと言えば、ExcelとかWordを提供しているマイクロソフトは、お金を徴収しているから「糞ダセー」のでしょうか?いわゆる「お金の奴隷」なんでしょうか?

話はズレましたが、西野さんは結局のところ、恐らく食うのに困らないのだと思います。それだけで生活しているわけではないから、無料化しても死ぬわけではないし、貧することもない。でも、全ての人がそうだとは限りません。

 

個人的な話ですが、私は道場に通っていて、先生に対して月謝を払っています。

それはまぁ、指導料や技術料などと言い換えてもいいのかもしれません。自分にないものを先生が持っていて、教えてくれて、価値があると感じているから払っています。

道場としてはそこそこ安い値段設定になっており、元々が町道場のようなところから始まった、という歴史があるのでその名残かもしれません。

ともかく、月謝を払うから私は稽古をつけてもらえているのです。先生ももしかしたら、本当は月謝をとりたくなかったのかもしれません(という話を聞いたことがあります)。

けれど現実的な話、先生自身の生活もありますし、生活保護のお世話になるわけにもいかないので、最低限の金額を設定されているようです。

じゃあその行為が「糞ダセー」のか?そんなことはないと思います。YouTubeを見ればいくらでもいますよ、パンチはこうしてキックは~って解説してる人。その人たちにはその人たちのやり方があるんでしょうけど、それだけがすべてではない。

というか、多くの場合その人たちも自分の道場を構えていて、その一環としてビデオを公開していたり、副産物的なカラーが強いです。

 

そういうことから考えても、私は西野さんの今回の件は、タイミングと言葉選びを間違えたな、と思うのです。それさえなければすごく賞賛されるべきことでした。

この人が今後どういう活動をされるのかは分かりませんが、今後もそういう「自分がこうだから」と考えて、発信を続けていくのでしょうか。

ぶっちゃけ、西野さんも分かってはいると思うんですよ。だって

 

……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)

 

って書いてるわけだから。

でも、決定的な事実として「素晴らしい作品を書いた人が」「お金を取ることを糞ダセーと考え」「無料公開をして」「反論してきた人を吊し上げる」ということをやってしまったのです。

これでは、今後西野さんよりもクオリティの低いものでお金をとろうとすることが難しくなってしまいます。本人にその意図がなかったとしても、社会的にそういう評価がされてしまう可能性があるのです。

 

まぁ、悪い人ではないと思うんですけどね…