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ペンもちDays

ペンギン好きの野郎が淡々と日常を貼っていきます

「糞ダセー」はどうすれば「超カッケー」だったんだろう?

キンコン西野の「絵本無料公開」の全貌がようやくわかりました。

そして今思うのは、西野さんって人は奇跡的なまでにタイミングと言葉選びをミスったなという印象です。

 

「プペル」という絵本と、その背景にある成り立ちは素晴らしいし、そのためにお金を払ってでも子供に与えたい、あるいは読みたいという気持ちは非常に納得できます。

作品としてのクオリティも非常に高いし、値段設定も2,000円ということを考えれば十分に商品として魅力的です。更にそれを、一部の子供が買えないから「無料公開します」という心意気も素晴らしい。お金がなくて、それでも西野さんの素晴らしい作品を見てみたいという子供たちも嬉しかったのではないでしょうか。

無料化という手法は、マーケティングや売上の話を抜きにしても「良い作品を味わってもらう」という芸術本来の目的を果たしました。そういった意味で、やり方としてはそこまで間違っているとも思えません。

 

ただ、西野さんはその影響力がポジティブな方だけではなく、ネガティブな方にも進むことをもっと考えるべきだったんじゃないかなぁ。

というのも、得をする人がいる裏側で損をする人もいるわけで、その人たちのことを無視したような、あるいは悪者扱いするような発信の仕方をする必要はなかったんじゃないか、と思うわけです。

 

この出来事では

・本を買った人

・本を売る人、作る人

・本が欲しい人

・本を読んでみたい人(欲しいまではいかない)

・本を買える人

・本を買えない人

みたいな色々な人が出てくる。

で、今回の流れでいわゆる「得」をしたのは

・本が欲しい人

・本を読んでみたい人(欲しいまではいかない)

・本を買えない人

であり、残りの人たちは必ずしも「得」をしているとは言えません。

逆に損をしているかもしれない、と言えます。

西野さんのブログでは

 

『えんとつ町のプペル』は2000円です。

色を綺麗に出す為に特殊なインクを使っていて、使用するインクの数も一般的な作品より多く、そしてページ数も多いので、2000円という値段設定はギリギリまで頑張ったのですが、それでも2000円。

たしかに、小学生からしてみると大金で、自分の意思で買うことは難しいです。

実は、ここ数日、このことがずっと気にかかっていました。

《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》

双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。

お金を持っている人は見ることができて、

お金を持っていない人は見ることができない。

 

と、「読みたいけど買えない」という小学生を不憫に綴っています。

確かに、2,000円の絵本を買うことができない小学生は、絵本の良さを享受できないのでかわいそうかもしれません。

でも、中には他に欲しいものを我慢して、一か月のお小遣いを全て絵本のために使った子供もいるかもしれない。あるいは、自分の趣味に使うお小遣いを我慢したお父さん、お母さんなどが、2,000円分子供のために使ったかもしれません。

「お金」にちょっと待ったをかけられているのは、何も子供だけではありません。全国のお父さんお母さん、あるいは兄弟姉妹、それぞれ家庭の事情があります。その中でやりくりをして、何とか頑張って2,000円の絵本を手に入れた子供もいるはずです。極端な想像ですけどね。

それを、西野さんはこんな言葉で間接的に乏しめてしまうわけです。

 

そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。

 

「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ?

糞ダセー。

 

……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)

 

作家の、つまり発信側のスタンスとしてはそうかもしれません。

最大多数の最大幸福ってやつでしょう。良いものを受け取れる人が、お金を障害に受け取れないってことなら、そんなもの取っ払ってしまおう!という心意気。

それ自体はすごく良いんですよ、だって得する人がたくさんいるんだもの。

でも、受け手側は必ずしもそうでないってことです。既にお金を出した人、我慢の末の取捨選択だった人、いろんな人がいます。彼らは「糞ダセー」という気持ちで片づけられてしまうのでしょうか?

また、発信側にとってもいいことばかりではありません。西野さんはたまたま、そういった声を聴いて、無料公開しても明日食い逸れることはない、とどこかで判断したからこそ、この方法をとったのかもしれません。

 

制作サイドの理由になるのですが、実はこの決断には勇気が要りました。

制作スタッフには最初の段階ですでに給料が支払われていますが、僕や出版社は絵本の売り上げ(印税)で生活しているからです。

「無料にしてしまうと、食いっぱくれてしまうのではないか?」

そんな不安もあります。

 

しかし僕は、『10万部売れるコト』よりも、『1億人が知っているコト』の方が遥かに価値があると考えます。

 

1億人を楽しませることができたら、その瞬間は1円にもならなくても、後から何とでもなると思っていますし、なんとかします。

それに、「西野君、こないだはありがとね」と夜ご飯ぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。

 

だったら、もう『お金』なんて要らないです。

僕とあなたの間から『お金』を取っ払います。

『お金』を払いたい人だけが払えばいいようにします。

 

別に西野さんを攻撃するわけではないんですけど、「夜ご飯ぐらい~」はあなたに限っての話ですよね?と思わざるを得ません。全員が全員、そうではない。

認知の手法について言えば、マーケティング的には間違ってないと思うんですよ。結果的に多くの人が「キングコング西野が絵本を無料で公開した」という事実を元に、興味関心を持って調べるだろうから。あるいは、たまたま目にしただけだったとしても、「無料公開なんていい人だな」という好感度UPにも繋がるかもしれません。

で、潜在的なファンになったり、次なる買い手になるかもしれないというケースはいろんな販促活動の中でも数多くあります。アメリカなんかそういうめちゃめちゃ得意な企業が多いですからね。

例えば、ラリー・ペイジセルゲイ・ブリンが「検索エンジンで金とるの、糞ダセー」と思ってGoogleを無料にしたのかは定かではありません。ただ、彼らだって広告収入で儲けていますし、個人情報やアクセスログなどを手にすることで利益を出しているので、お金とは無縁ではありません。我々は知らぬうちに対価を払っています。(しかも彼らは世界のお金持ちTOP20に入るレベルの利益を得ています)

もっと言えば、ExcelとかWordを提供しているマイクロソフトは、お金を徴収しているから「糞ダセー」のでしょうか?いわゆる「お金の奴隷」なんでしょうか?

話はズレましたが、西野さんは結局のところ、恐らく食うのに困らないのだと思います。それだけで生活しているわけではないから、無料化しても死ぬわけではないし、貧することもない。でも、全ての人がそうだとは限りません。

 

個人的な話ですが、私は道場に通っていて、先生に対して月謝を払っています。

それはまぁ、指導料や技術料などと言い換えてもいいのかもしれません。自分にないものを先生が持っていて、教えてくれて、価値があると感じているから払っています。

道場としてはそこそこ安い値段設定になっており、元々が町道場のようなところから始まった、という歴史があるのでその名残かもしれません。

ともかく、月謝を払うから私は稽古をつけてもらえているのです。先生ももしかしたら、本当は月謝をとりたくなかったのかもしれません(という話を聞いたことがあります)。

けれど現実的な話、先生自身の生活もありますし、生活保護のお世話になるわけにもいかないので、最低限の金額を設定されているようです。

じゃあその行為が「糞ダセー」のか?そんなことはないと思います。YouTubeを見ればいくらでもいますよ、パンチはこうしてキックは~って解説してる人。その人たちにはその人たちのやり方があるんでしょうけど、それだけがすべてではない。

というか、多くの場合その人たちも自分の道場を構えていて、その一環としてビデオを公開していたり、副産物的なカラーが強いです。

 

そういうことから考えても、私は西野さんの今回の件は、タイミングと言葉選びを間違えたな、と思うのです。それさえなければすごく賞賛されるべきことでした。

この人が今後どういう活動をされるのかは分かりませんが、今後もそういう「自分がこうだから」と考えて、発信を続けていくのでしょうか。

ぶっちゃけ、西野さんも分かってはいると思うんですよ。だって

 

……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)

 

って書いてるわけだから。

でも、決定的な事実として「素晴らしい作品を書いた人が」「お金を取ることを糞ダセーと考え」「無料公開をして」「反論してきた人を吊し上げる」ということをやってしまったのです。

これでは、今後西野さんよりもクオリティの低いものでお金をとろうとすることが難しくなってしまいます。本人にその意図がなかったとしても、社会的にそういう評価がされてしまう可能性があるのです。

 

まぁ、悪い人ではないと思うんですけどね…

天皇はかく語りき

headlines.yahoo.co.jp


今上天皇の生前退位…という言葉で厳かに表現してはいるものの、一人の人間として就業が困難になったので引退をさせてほしい、と考えれば至極まっとうな意見だと思う。
それを外野があーだーこーだと、前例がないから認めるわけにはいかないと言いながら先延ばし先延ばしにして、天皇本人を苦しめることは、
次元の低い話だが企業が社員を誤魔化しながら疲弊させてるのとなんら変わらない。
所詮、日本という国がそういう国だということだ。
根深い問題であり、一筋縄ではいかないのは想像できるが、そうやって自分たちの国の象徴である天皇を最後まで働かせるなんて正気の沙汰じゃない。
今上天皇は、そのお人柄とお仕事を拝見するに、到底我々の想像の及ばないほど素晴らしい御仁だと思う。
御年82歳であらせられながら、未だその職務を全うし、外遊されては各国に良い印象を与えられるお姿は、確かに日本の誇りそのものだろう。
けれど、そうは言ってもやはり天皇ご自身、思われるところもあり今年「お気持ち」と題し退位(この言い方にも賛否両論あるが)の意向を表明された。
そりゃ建前で特別な存在だとか皇族だからとか言うが、同時に一人の人間だから、やはり体力にだって限界はある。
以前天皇の年間活動表みたいなものを見たことがあるが、そこらへんのホワイト企業に務めるサラリーマンよりも忙しくされている。
普通60~65歳くらいで社会人は引退するのに、82歳という高齢になってもまだお忙しくされている。
2ちゃんで皮肉られていたが、「日本の象徴」がこの働き方では、全国民が同じように働いてても「さもありなん」で片づけられてしまうだろう。

僕はこういう時、学者というものが甚だ嫌いだ。
お前らはぬくぬくと人様にご高説を垂れながら研究に明け暮れ、でも休みと高給をがっぽりともらっている。
その上で「生前退位など聞いたことが~」なんてぬかしやがる。いい加減その高い教壇から降りて現実を見やがれってんだ。
もしこれで、天皇の御意向を無視して天皇が過労で…なんてことになったら、宮内庁に存在価値なんてあるんだろうか?
電通の過労死で重い腰を上げた厚労省も、高橋まつりさんという犠牲がなければ「ふーん」で終わってたのではないだろうか。

 

日本の役人って何のためのいるの?
お役所の人ってどんな志を持ってんの?

Excelのちょっとしたイイ話-1

Excelってやっぱどこか素敵

僕は仕事上でExcelを使う。

1年と半年間、Excelとにらめっこした時間は中々のもので、なおかつExcelくんに対して「なんでだよー」とぶー垂れたことも中々に多いと思う。

つい最近、文書として作られ、データとして役立たないファイル「神エクセル」をなくしていくと河野さんが言っていたことが記憶に新しいが、そもそもExcelって人によって使い方が様々なんだと思う。

データベースとして使う人もいれば、集計用に使う人もいるし、お絵かきをする人もいるし、あげくゲームまで作っちゃう人がいる。そのくらい、Excelってソフトは中々に万能なのだ(適切な使い方が出来ているかはさておき)

それもそのはずで、VBAというVB言語の派生語が使えるがために、プログラミングしようとすればその応用範囲は広いし、既にフォーマットというか用意されているオブジェクトがWindowsでは非常に多いため、一旦勝手を覚えてしまえば色々なものが開発できる。

それがゆえに「え、それExcelでやる必要ある?」ってもの・手段が出てきちゃうんだけどね。同じMS系のソフトならAccessとかの方が断然データベースとして特化してるし。あれもあれでちょいクセがあるから使いにくいところはあるけど。

Excelを使いこなして俺SUGEEEEを実践しよう

まぁともかく、そんなExcelと向き合っているのは僕だけじゃないはずだ。

世の中のサラリーマンの諸兄方は確実に商談なり資料作成なりでExcelに触れているはずだ。でも、使いこなせている!と思っている人はどれくらいいるだろうか。

エンジニア系の人たちは計算することも多ければ、データを分析することも多いだろうから結構十全に使ってる人が多いと思う。アナリストや証券マンと言われる、金融工学を用いる人も恐らくかなりの使い込みをしているのではないだろうか。

でも、実は営業の人、あるいは企画の人でExcelを使いこなしてる!って人はあんまり見たことがない。関数知ってて、ショートカット知ってて…というのでぶっちゃけ事足りると言えば事足りるが、もっと迅速にパパッと使ってみたくはないか?

Excelを詳しく知らない上司や先輩に「こうやるんですよぉ~」とドヤ顔で教える(それで嫌われても知らんけど)ことが出来れば、社内評価も上がるし、早く帰れるようになるし、何よりビル・ゲイツの偉大さの一端を垣間見ることが出来る。

彼の残した功績は決してWindowsの開発だけではなかったことが、お分かり頂けるだろう。

今回は、そんなExcelの効率化の手段をいくつか紹介していきたい。

【第一回目】ショートカットキーや連続記入方法を覚える

いきなり関数だなんだとやってもとっつきにくいし、そんなの使わねーよという人も出てきてしまうので、まずは誰でも使えるExcelの入力が楽ちんになる方法を紹介していく。

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Excel 効果的な使い方

こんな感じでちょくちょく連載続けていこうかと思う。

サービス戦争に核を落としたい

zasshi.news.yahoo.co.jp

この記事の内容には全面的に同意だ。
何しろ日本という国は、消費者(受け取る側)には便利だが、生産者(与える側)にとっては不便どころか不条理すぎる。
僕は日本で生まれすぐにフランスに移住し、しばらく過ごした経験があるが、日本人の感覚からしたらフランスという国はあまりにも不便かもしれない。

海外のサービスを見習う

最近度肝を抜かれたのはシャルル・ド・ゴール空港経由で日本に帰ろうとした今年の夏休みのときだ。
フランス…というか諸外国のサービスが日本に比べて数段どころか数十段(そんな表現あるか分からんけど)落ちるのは有名な話。
でもそれを通り越しちゃいないかい??と思わされたのが、危うく飛行機を逃すところだったことだ。


一旦、ここから日本の話をしよう。
出国審査という場所を思い出してもらいたい。日本の成田空港、羽田空港はずいぶん平和ではないだろうか。
少なくともシーズン真っただ中の7月~8月に日本を出国しようとしたときに、なにかの事件なしに審査で2時間待たされたことはない。
まぁ日本人同士だから、という安心感もあるのだろうが、非常に手早くパパっと手続きを済ませてくれる。
おかげでラウンジに着くと逆にやることがないという事態になるのだが、それでも「どうせあの人たち手続き早いから少し遅めに行っても大丈夫だろ」という謎の自信が湧いてくる。これは日本のサービスの良さに甘えてしまってる典型例だ。
ここまでが日本の話。

で、フランスで飛行機を~という話に戻るが、なにしろ奴ら(フランス人)は働かない。
上記の問題も、出国審査のゲートの一部が故障していたのにも関わらず、職員たちは「まぁ、動かんものは動かんわな」というスタンスで修理するのを諦めた。
航空会社が人から金をとっておいて何をふざけたことを言ってるんだ、というのがいわゆる日本人の「常識」だが、フランス人からすれば
トラブルが発生して送れるような時間に到着するのが悪い」というスタンスだ。もちろん、そこで彼らは一歩も譲らない。
なぜなら根底には「だって(トラブルに)なっちゃったものはしょうがないじゃん」という気持ちがあるからだ。
日本人なら「遅れてしまい申し訳ございません、早急に処理いたします」と人員を確保するなり、他に緊急のゲートを作ったりと何かしらの対処があるだろう。
でもフランス人にはその感覚は基本的にない。ある意味、日本で暮らす以上に「自己責任」というものが要求される社会だ。
別の例を挙げるとすれば、これも僕の飛行機関連のトラブルの話だが、数年前にやはりシャルル・ド・ゴール空港から日本に帰ろうとしていたときのことだ。

その日は3月だというのにひどい雪に見舞われ、高速道路はその雪の影響で横転してしまったトレーラーがいたために、一部が閉鎖された。
迂回ルートを使って雪化粧をしたベルサイユ宮殿の外観を見られたことは嬉しかったが、そうはいっても飛行機に間に合わなければ何の意味もない。
で、空港に着いたときには時すでに遅しだったんだけど、やっぱりカウンターで「雪の影響で遅れたんだけど、振替の便ない?」と
尋ねたところ、原則的に遅れた方の責任だからそんなものはない、と横山三国志並みのあしらい方をされたことがある。
そのあと日本に帰れないとやべぇよやべぇよ…と受付のおばちゃんに訴え続けたところ、何とか翌日のJAL便に振り替えてもらうことが出来た。
ネットで調べると「フラット・タイヤ・ルール」というものを導入している航空会社とそうでない場合とで対応が違うらしいが、日本では高確率で対応をしてくれるらしい。
一方で、海外の航空会社はそうでないところが多いようだ。
僕はここで、日本の航空会社は神!フランス含め海外のは糞!と言いたいのではなく、何とかしようとするサービスの姿勢が明らかに違うことを言いたいのだ。

 

日本のサービスを見直す

良くも悪くも海外は、提供されるサービスが日本ほど充実していない。
フランスを例に挙げたが、基本的にヨーロッパ含めキリスト教の国は日曜日はレストラン以外は閉店してるし、平日でも19時~20時には店は閉まる。
スーパーに行けば店員の態度は日本基準でいえばスゲー無愛想だし、小銭を出すか出さないかみたいなお財布の中をチャリンチャリンしているときの、店員からのプレッシャーったらない。
日本では「いいんですよ~、気にしないでください」と愛想よく言ってくれるので(心の中ではあくしろよって思ってるかもしれないけど)、こちらも「えへへ~すみません」くらいの気持ちで対応できる。
ところが、海外では顧客と販売員との関係は対等なので、別に愛想を良くする必要はない。むしろ、なんでこんな安い給料で…という不満を前面に出してもなんら御咎めはない。
よっぽどひどい場合は別だけどね。

そう考えると、日本のサービスは供給過多だ。
消費者はあれよこれよと増やしてほしいサービスをいくらでも挙げられるが、そのしわ寄せは全部従業員に行く。
その上、従業員は不満の一つも顔に出さずに対応しなければいけないし、反論など許されない風潮があるのでそりゃあストレスもたまるだろう。
Yahoo記事の中で例に挙げられている

・再配達の問題
・スーパー、百貨店などの年中無休営業
・問い合わせに対する24時間対応の体制

はどれも一度やってしまったがゆえに、もう後には戻れないものばかりだ。
消費者というのは便利さの味を占めたが最後、そのうまみがなくなることには耐えられない。しかも無料でそんなのがもらえるのなら尚更だ。
消費しているのも人間ならば、供給しているのも人間だ。そのことをあまりにも日本人は軽く考えていないだろうか?
某掲示板で有名なコピペとなった「俺は嫌な思いしてないから」という言葉は、用いてる場面こそ違えど消費者の心情を的確に表現した一言だ。
そう、本人さえ嫌な思いをしていなければ何もしてもいい、という思考の人間が多すぎるのだ。
で、そういう思考の人間からストレスを受けた人間がまた別の人間にストレスを与えると、負のスパイラルに陥る。

 

じゃあどうすればいいか

 

 

 

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だから、もういっそのこと大災害がありましたので一旦サービスをストップします、と国全体で何とかするほかないのではないだろうか。
これが一社だけだと「あぁ、じゃあもうあの会社は使わないで別の会社に変えればいいや」と考える発注元が増える。でもみんな一斉にやればどこに頼んだって同じなんだから、別に一社だけの優位性は起こらない。
合成の誤謬」という、ミクロでは正しくてもマクロでみれば間違っているということの逆転現象だ。
ミクロでやっても正しくはないかもしれない(=生産的ではない)が、皆でやれば正しいこと(=生産的である)になる。

ただ怖いのは、こういうのは国が法律で禁止するレベルのことをやらない限り「昨今のサービスは悪い!うちがそういった状況を打破する!」という野心バリバリだけど危ない方向に突っ走る起業家が出てきてしまうことだ(ワ〇ミとかね)

日本がサービス!サービス!と躍起になるのは構わないが、どうせ10年後くらいには破たんしているので、僕は今のうちに外国様式に慣れておこうかと思う。

闘病ビジネスというか

headlines.yahoo.co.jp

 

ごめんなさい、先に謝っておくとハイパー不謹慎な内容です。

小林麻央さんを本気で応援されているファンの方はご覧にならないことを推奨します。

それでも見た方には更に申し訳ありませんが、小林さんを少し下げた内容になってしまうので、そこもご了承ください。

 

 連日、小林麻央の闘病経過が記事になっている。闘病経過というか、報告というか、とりあえず気持ちで負けない!これからも生き続ける!というポジティブ且つ段々とポエミーな内容になってきている気がする。

僕自身はがん患者ではないので本人と同じ立場には立てないから、本人の気持ちが分かる!と言うつもりはサラサラない。大切な命なのだから、懸命に生き抜いてほしいと願っている。小さなお子さんもいるようだし、国民に広く知られている方である分、やはり彼女が体調を崩したというのはそれなりにショックだったとも思う。

 ただね、最近旦那の海老蔵がスポーツクラブでモメたという記事も出たし(まぁこれの信ぴょう性やいかに、というところでもあるが)、連日姉の小林麻耶さんも含め応援してるよ~!負けないでね!という生活を送っている、という内容が連日繰り返されている。ファンの人も同じく「負けないでね!」「応援しています!」と鼓舞して、ファンと本人の二人三脚どころか、旦那、姉を含めもはや何人何脚になっているかわからない状態である。これはこれで素晴らしいのだが…なんというか、上記のニュースの内容から見ても、連日の報道から見ても段々と「闘病ビジネス」みたいな気がしてきて、ちょっと胡散臭くなってきてしまった。最低な見方かもしれないが。

 

 少し前に、同じくがんにかかった北斗夫妻が、やはりがんにかかったが負けないで!と一時期話題になったが、こちらはほどなくして事態が収束した。やはりご家族含め身内で経過を見守ろう、ということになったのかもしれない。一方、小林麻央海老蔵、麻耶含め皆最近はがんのことしか話題にしない。がんのことを出されては、大変ですね、頑張ってください、よくなることを祈っています、としか言うしかない。

 で、何がひっかかるって、ヤフコメで誰かが指摘してたんだけど、ブログ収入とか含め一般人では到底追いつかないような治療を恐らくはしているんじゃないかということ。そして、その詳細を経過として報告するのではなく、私たちは今も元気いっぱいです!と報告していること。こういうのをすごく侮蔑した言い方で、感動を押し付ける「感動ポルノ」という表現があるが、ちょっとその域に足を踏み入れ始めていないか?と思ってしまう。

 再三述べることになってしまうが、僕も芸能人だからとかそういうのではなく、同じ人間として彼女がまた明るく生活できるよう、治ったらいいなと願っている。特に小さなお子さんも、幼少期から大切なお母さんを失うことがあってはならない。

…なんだけれども、それとはまた別次元でその「闘病ビジネス」になりかけていることが引っ掛かるのだ。そもそも、病気に対して「結果」というものを求めることは間違っているし(そんなことが根性論で出来るなら不治の病など存在しない)、がんだけど今でもこんなに周りが応援してくれてるよ!と語れるのは、一般人とは住んでいる世界も違えば費やせるお金も違うからで、それを以て「自分と同じ境遇の人の力になれれば」と言うのはちょっと違う気がする。

 一般人はお金も余裕も限られているわけだから、一日でも早く直したいし、藁にもすがる気持ちでどうすれば効果的な治療と経過が享受できるかということを知りたがっているだろう。だから、小林家…もとい市川家には感動を共有するようなコテコテのお涙ちょうだいな内容だけではなく、私は今こんな治療をしています!こんな生活を送っています!そしたら数値がこんなに下がりました!と書く方がよほど親切なのではないだろうか(もちろん、がんも様々だからその一例だけを信じる人が出てきてしまうリスクもあるが)

 

とにもかくも、小林さんには元気になってもらって、明るい報告をできるよう過ごされて欲しいものである。

不思議な考え方

headlines.yahoo.co.jp

すげー世の中になったものである。

つい最近になって、LGBTという言葉が普及し始めたかな、と思っていたら、今度はポリアモリーである。
個人的に、LGBTという言葉が世の中に出てきてから認知されるまでの体感時間は、一年程度でしかない。
もしかしたら、その生き方をしている人たち、もしくは有識者や活動家などはもっと前から当たり前のようにしっていたかもしれない。
Facebookで虹色のカバーでプロフィール写真を飾り、LGBTを応援するという企画もあった。
今一度LGBTってなんぞや、という方のために説明しておくと

L=レズビアン(女性同性愛者)
G=ゲイ(男性同性愛者)
B=バイセクシュアル(両性愛者)
T=トランスジェンダー(出生の性と、自分の認識している性とが違うこと)

というそれぞれの言葉のイニシャルを取った言葉だ。
今まで男は女を、女は男を好きになる、あるいは男性は男性として、女性は女性として生きるべきだというのが世の中の一般的な認識だった。
しかしその中で、その一般的な認識とは違う人たちがおり、もし自分の人とは異なる考え方を打ち明けたら家族や友人、職場などで異質だと思われる、
という葛藤を抱く人たちもいた。
近年、日本もダイバシティ(多様性)を認める社会へと徐々に変容しており、このLGBTも人それぞれの考え方があっていいよね、ということで
認知が広がってきているのだ。
だから企業も「LGBTとしての婚姻を認めます」なんて風に多様性を受け入れることの出来る、文化的に進んだ会社だとアピールする。
自分の本当の気持ちを隠し、魔女狩りのようにもしそれが周囲に知れてしまったら差別を受ける。
そういう人たちが、ようやく自分らしい生き方を歩み始めてきた、ということだろう。

僕はLGBTでもなければ上記のポリアモリーでもなく、女性のみを愛する人間だ。
そして少し異論を唱えたいのが、ポリアモリーはもとより、LGBTも決して多数派ではないということだ。
決して存在を否定するつもりもなければ、その生き方が悪いとも思わない。ごめん、正直ポリアモリーにはちょっと思ってるけど。
ただ、その人たちの考え方が、我々の考え方とはどこかで違うことを理解していてほしい。
すでにそう認識していて、更に自分たちの考えを押し付けるつもりがないという人たちにはそんなことを言ってしまい申し訳ないと思う。

さて、本題に戻ってポリアモリーだ。
この人たちはなんというか、実に動物的だと思う。
別にけなしているのではなく、動物の世界って結婚制度もないし一対複数の関係が起こり得るし、法律とかそういうのもないので何物にも縛られない関係が見られるからだ。
ちょっと調べてみたら、やっぱり動物って父親が違うとか母親が違うとかザラにあるらしい。確かにその方が種を残すって意味では効率的だしね。
でも、僕たちは人間である。人間だからこそ嫉妬もすれば独占もしたくなるし、理性というものがあり考えることができて、長い歴史の中で一対一が良い、という制度になったのではなかろうか。
今でも一夫多妻制の国というのは存在するが、その国の中ですら一夫一妻制がまともだという意見も出ている。
あるいは、妻とは行かなくても「愛人」というくくりで奥さん以外に女性と関係を持つ人がいるが、お盛んなことだなぁという印象だ。
思うに、人間の「一夫一妻制」は人類の発展そのものなんじゃなかろうか。
動物の本質が種の生存、繁栄で複数との関係を持つことだというのなら、人間の本質はその反対に、一夫一妻制という文化を築いてきた、理性の発達ではないか?
それを、「私は一人の人間だけしか愛さないなんて無理」と考えるのは、人類の進化に反しているんじゃないだろうか?

なんか、今後浮気とか不倫とかしても

ぼくはわたしはポリアモリーだから仕方ないじゃん!

とか平気で言う人が出てきそうで怖い。本当にポリアモリーな人々には申し訳ないが、浮気の言い訳の常套句になりそうである。

多くのヤフコメでも奇異だとみなす声が出ているが、その理由は人間の築いてきた文化から生まれた考え方とは違うからではないか。
そう考える次第です。